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会話のようだ。
まるで、人と人が会話をしているように見えてしまう。
ふたごの木が寄り添うさまは、仲のいい恋人たちが睦言を交わしているかのようにすら見えてしまうのだ。
それを見透かしたかのように、谷川俊太郎が言葉を添える。
ちょっと大きな木のアパと、ちょっと小さな木のアピのふたりの会話を写真の横に添えているのです。
ふたごの木は変わらず、そこにあります。
季節が変わっても、訪れる人が途絶えても、その場を動くことなく、そこにあり続けます。
自力では動くことはできないふたごの木。
かといって、それが悲しいとか、苦しいという訳ではない。
端から見ると、不自由な状況も、彼らにとっては当たり前で、完璧な状態なのだ。
互いが互いを必要としている。
それは空気のように、水のように気づいたらそこにあるというもの。
ないということは考えられないんだ。
ふたつでひとつのふたごの木。
そうでありたいと憧れてしまう。
そうであったらいいなと夢を見てしまう。
家族のように、友人のように、恋人のように、そして夫婦のように…。
時を刻み、季節の移ろいを見続けているうちに、関係性というのは変わっていくのかもしれない。
寄り添う時間がいかに大切か…。
それは、寄り添ったものだけが味わうことができる世界なのではないだろうか。
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