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常に人は何かを考えている。
何も考えていない時間などないかのように、浮かんでは消えていく無数の泡のようなとりとめのない言葉を紡ぎ続けている。
谷川俊太郎も同じではないだろうか。
彼のとめどなく溢れる思考の一部を切り取ったらこんな詩ができたという感じに見えてしまうのだ。
谷川は、これを長い詩と言っているが、詩というよりも物語や小説に近いのではないかと思ってしまう。
不思議や謎に包まれた奇譚のような物語に見えてしまうのだ。
詩は自由であり、制限を持たぬものであるから、どんな形でも成立するのはわかる。
ただ、言葉というものは、連続性を増すほど物語へと変化していく性質をもっているのではないかと思うのだ。
『トロムソコラージュ』は、ノルウェーのトロムソなどの旅を題材にしている。
『問う男』では、見知らぬ男が突然部屋に入ってきて問いかけをする。
『臨死船』では、あの世行きの連絡船に乗った出来事を綴っている。
ひとつひとつの掌編には、登場人物がいる。
会話もある。
ある一定の結末も用意されている。
ただ、なんとなく始まって、なんとなく終わる感じは、人間の思考状態と似ていて、やはり小説とは異なるものなのかもしれない。
浮かんでは消える泡沫でしかないのかもしれない。
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