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存在感がある。
誰よりも、何よりも、その存在感を振りかざしながら物語が進んでいく。
舞台は、田舎の県立高校。
17歳の男女が登場する。
入れ替わり立ち替わり、同級生たちが登場するが、話がいくら進んでも、肝心の桐島は出てこない。
友人や知人から、桐島の名前が出ることはある。
桐島が部活をやめるという話もわかった。
けれども、そこに桐島がはいないことに変わりはない…。
読み進めるにつれて、いらだちともいえるような、もやもやが立ちこめる。
このもやもやは、桐島が出てこないことだけが理由ではない。
高校生の彼らが純粋に今を楽しんでいたり、単純に毎日遊んでいる訳ではないことに起因しているのではないかと思うのだ。
バレー部の補欠・風助がレギュラーをとった話。
ブラスバンド部の部長・亜矢の恋の話。
ソフトボール部・実果の人には言えない話…。
一見すると、何の関連性もないように思える物語が、話が進むにつれて少しずつ明らかになっていく。
まるで、バラバラであったパズルのピースが組み合わさっていくかのように…。
おそらく、僕自身がこの物語を読むことで何か楽しもうとか、浮かれた気分になりたいといった思いがあったのかもしれない。
だからこそ、風助や亜矢や実果が、どこか冷めた気持ち状況を見ていたり、幸福感とは程遠い感情のただ中にいたりすることに心をうちひしがれてしまったのだ。
彼らの中には、虚無感、厭世観、劣等感などといった感情が渾然一体となって存在している。
高校生活が華々しく見えるのは、その時期を過ぎてしまったものにとってそう見えるだけなのかもしれない。
渦中にいる彼らにとっては、今そこで過ごすしかなく、そこでだけ生きることが許された存在なのである。
すでに僕にとっては遠くなってしまった時代の話だが、この物語を読んでいると、ついこないだのことのように
胸が痛くなってしまう。
登場人物と同じような気持ちになってしまう。
朝井リョウという作家の恐ろしさを感じた一冊である。
ますます、この作家さん気になってしまいました。
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